2022.03.25
Vol. 20
アートディレクター/デザイナー ほそかわなつき
大学でグラフィックデザインを学んだ後、広告制作などいくつかの制作会社での経験を経て独立。2020年からは三宮に拠点を構えて、NATSUKI HOSOKAWA DESIGNとしてのデザインワークを目にする機会も増えてきました。
老舗企業のブランディング、アーティストの展覧会フライヤーといった仕事を横断しながら、人の感情を動かすような印象的なデザインをつくりあげるほそかわなつきさん、その仕事の源をお聞きしました。
―NATSUKI HOSOKAWA DESIGNの事務所、三宮駅から歩いてすぐの場所にあっていい感じですね。
ほそかわ:独立して2年ほどは、幼なじみの写真家が芦屋に構えている事務所に間借りしていました。環境がすごくよくて、ほとんど家賃もなしで使わせてくれていたのでとても感謝しているのですが、もともと2年の約束だったのと、資料を手元に置いたり、カンプを壁に貼って見たりするほうが仕事のクオリティをより上げられるかなと思って神戸へ移ってきました。三宮の東側って駅から近いわりには家賃安くて。いい場所が見つかりました。
―デスクの前にペンギンがいますね。
ほそかわ:それ、三角コーンでつくった卒業制作です。大学は滋賀の成安造形大で、琵琶湖の周りにはなぜか「飛び出し坊や」の看板がたくさんあるんですけど、わりとかわいそうな状態になってるものが多いんです。それに代わるものをつくりたくて、FRPで型をとって、地元の小学校の子どもたちと一緒に色を塗って20体ほど制作したものです。かわいがってもらえるものになればと思って、大学の地元の街に納品しました。
―コンセプトの通った卒業制作ですね。もともとデザイン志望でしたか。
ほそかわ:学生時代はグラフィックデザインコースで、きれいな文字組みとかの基礎を学びました。けど、そもそも小学生の頃から絵やマンガを描くのがとにかく好きで、ただ、それでは食べていくのは厳しいかなというので、デザイン領域を選びました。だから、作家への尊敬や憧れはいまでもめちゃくちゃありますね。デザインの仕事を始めて最初に面白いと思ったのは、作家の展覧会DMとかでしたし、今も作家やイラストレーターの方と仕事をする機会は積極的につくっています。
―いい具合にイラストを使われるのがほそかわさんのデザインの特徴のひとつだと思っていましたが、そうした背景があったんですね。
ほそかわ:どんなイラストレーターさん、作家さんと組むのがいいかとか、色使いにしても印刷にしても、そこは貪欲にこだわって考えています。デザインの仕事って、そこそこいいフォントと写真を配置すれば成立してしまうけど、絶対にそこには甘んじないように、ひたすら練って練って、ウンウンうなりながらやってます。そこの地道な粘りは見えないところですけど、最終的なアウトプットにきっと表れてると信じてやってます。
―独立して案件数が増えてくると、忙しさからその粘りが難しくなってくる人もいます。そのあたり何か考えていることはありますか。
ほそかわ:独立してから4年、実際、徹夜が続いて難しい時期もあったので、自分が編み出したのは時間管理をきちっとやること。今はアプリを3つ使って、1カ月、1週間、そして1日は30分単位で細かく管理しています。どちらかといえば、ゆるいタイプなので、きちきちにやってちょうどいいくらい(笑)。
―独立にいたる経緯も教えてください。大学卒業後すぐに独立したわけではないですよね。
ほそかわ:僕は3回転職してから独立していて、それぞれにいい経験をさせていただいたので、ちょっと話してもいいですか。
―ぜひお願いします。
ほそかわ:大学出て最初に勤めたのは、京都・三条の1928ビルで「GEAR」という公演をロングランでされていたりするリッジクリエイティブという会社で。常勤のデザイナーがいなかったので会社のパンフレットや名刺までかなり自由にやらせていただいて、とてもおもしろかったのですが、新卒なのに先輩にしごかれるような経験がないのが大丈夫かなと心配になって。ないものねだりなのですが、代表に相談した上で会社を移りました。
―若くてもチームの中でデザイナーがひとりという座組みだと、結構、自分の意見が通っちゃいますからね。
ほそかわ:そうなんです。で、次は大手メーカーの販促ツールをまるっと引き受けている制作会社で、ここには同じタイミングで入ったアートディレクターの先輩がいたのでとてもしごかれました。その人とは今でも公私ともにおつき合いがあるくらい、いい出会いでした。ただ、その方が先に辞めて、会社の体制も変わって、というので1年半くらいしか続かず、その次には、大きな駅貼りの広告デザインをやるようなクリエイティブ会社へ。絵に描いたようなずたぼろな生活でしたけど(笑)、そこでデザインスキルは徹底的に底上げされたという実感を持っています。
―そこでは大手広告代理店とつながりの深い仕事が多かった。
ほそかわ:はい。ただ、だんだん広告の仕事が減ってきたのと、これは今では笑い話ですが、ボーナスがジャガイモの現物支給だったりして、いろいろ厳しくて。で、その頃に見つけたのが大日本印刷の企画制作専門の会社。そこでデザイン部門を立ち上げる話があったので、そこに入って7~8年在籍しました。デザイナー採用だったのですが、仕事としてはだんだんディレクター寄りの業務になっていって、自分でデザインの手を動かすことがほとんどなくなってきたので、副業みたいな形でこっそり仕事の後にデザイン業をやっていたんです。
―それもOKな会社だったんですね。
ほそかわ:いえ、ダメだったから、週末や仕事を終えた21時、22時からやっていて。それでもやりたいくらいにデザインをしたい欲求がたまっていたのかも。さすがにこのままではというので奥さんから指摘されて、それでも独立するかどうか、1年くらい迷いました。年齢的にも32~33歳だったので、もうギリギリかなって。
―結果的には独り立ちするまでにいろんな形でデザインに関わってこられて、それはほそかわさんの強みになっていますか。
ほそかわ:販促、広告、企画制作と経験してきたことは、間違いなく今に役立っています。最近、仕事によってデザインの顔つきが全然違うねと指摘されたこともあって、自分のトーンを固定するよりも、それぞれの仕事にふさわしいエッセンスを強く出すことはこだわってやっているつもりです。
そういえば、就活に備えたポートフォリオの1ページ目に「感情に訴えかけるデザインをしたい」と書いてたのを思い出しました。かっこいい! おしゃれ! かわいい!…とか、デザインを通してそうしたリアクションを見た人から引き出したいというのは昔から強く思ってきたことでした。
―三宮で拠点を構えて2年、どんな風に仕事が始まることが多いでしょうか。
ほそかわ:知らない人がサイトを見てというのはほぼなくて、自分の知り合いの範囲から広がってというのがほとんどですね。それでも創業100年を超える老舗企業のブランディングもあれば、農家さんとの仕事、お店のショップカードなど、それが他のデザイナーと比べて幅広いのかはわかりませんけど、いろいろ声をかけてもらっていると思います。
―ほそかわさんの最近の活動をいくつか教えてください。
ほそかわ:神戸で熱いなと思ってるのが、僕も含めて、なぜか1984年生まれが多いこと。それを面白がって、「アタック1984」という名前をつけて、84年生まれに次々とアタックする企画を高校の同級生がやっていて、おかげで84年生まれのつながりが増えてきました。偶然にもそれぞれの業種がかぶってなくて、出会う人たちもいいしで、最近ざわざわしてます(笑)。
―1984年生まれだと今、37歳。ちょうど独立したり、何かを始めたりという勢いのついた世代なのかもしれませんね。
ほそかわ:そう思います。あとは、今、自分が住んでいる明石の街も面白くて、こだわりの店を自営でやってる同世代が増えているので、そういう人たちを紹介する機会として昨年、「ウラあか」というイベントをやりました。明石焼きや海鮮じゃない、裏の明石物産展ですね。これも遊びですけど、結果的に、明石のお店の人からショップカードやロゴの依頼もいただけるようになって、それもすごく楽しいなと思っています。
―箔押しや紙の加工など、印刷物に対するこだわりも感じます。
ほそかわ:相手に合ったふさわしいアウトプットを考えていると、自然に印刷にもこだわるようになりました。刷り直しなどの失敗もありましたけど、いろんな印刷会社さんにお願いしたり、現場に立ち会ったりしながら、経験を蓄積してます。あと、自分の年賀状はいちばん自由に実験できるので、できるだけこだわってやってます。
―遊びも仕事も出会いも、いろんなことがいい具合にデザインに結実していってますね。
ほそかわ:もともと表現みたいなものに引かれて美大に入って、デザインの仕事を始めているので、つくったものが正しく強く届くもの、訴えかけるものになるように今後もそこは貪欲にやっていきたいですね。そして、今の時代ってどこに拠点があっても同じようでいて、やっぱり神戸に事務所を移したというのは案外、大きかったなと感じています。
ほそかわなつき
1984年神戸生まれ。成安造形大学グラフィックデザイン学科卒業。2018年、NATSUKI HOSOKAWA DESIGN設立。ミュージアムやアート事業のロゴ、VI制作をはじめ、広報戦略を含めたグラフィックからWEBまでの提案を行う。