Pickup Creators

2021.05.25

Vol. 09

人を巻き込む「プロジェクトマネージャー」の本質とは。

家族や趣味と仕事の境界をあえて区切らずに。(山森)

プロジェクトマネージャー・ユブネ 山森彩

|プロローグ

 

プロジェクトマネージャーという肩書きを持ちながら、ライターとして執筆したり、事務局の運営スタッフとして人と人との橋渡しをしたり…と、様々な顔を持つ山森さん。2018年にはディレクターの東善仁さんとともに合同会社ユブネを設立し、「企業、まち、社会の体温を1℃上げる」をコンセプトに活動中。塩屋で暮らし、働き、遊ぶ。そんな生活で育まれた、仕事にかける思いを聞いてみました。

 

|『塩屋本』をきっかけに、街に育ててもらった

 

ー現在携わっているお仕事は、どのようなものがありますか?

山森:大学の広報媒体の編集、神戸の下町の魅力を発信する「シタマチコウベ」のライターなどを手がけています。独立した2015年からは3年ほど、塩屋商店会のスタッフとして事務局の運営と助成金を使ったイベント等のマネージメントにも携わってきました。シオヤプロジェクト(シオプロ)のメンバーでもあります。この企画の一環として、「聞き書き」プロジェクトをスタート。商売人の方や住民の方に昔話を語ってもらって残す、ほぼ趣味のような活動をスローペースで行っています。

ー活動は多岐に渡りますね。独立前の活動についても教えてください。

山森:独立前は企画会社や広告代理店などに勤務。神戸市の創造都市推進部(旧デザイン都市推進室)の立ち上げや企業の商品ブランディングなどを手がけている会社でディレクターをしていました。もともとクリエイター志望だったのですが、企画を進行することや、チームのマネージメントなど誰かの困りごとを解決することが面白くなってきた時でしたね。

ーその後2015年に独立されて初めて関わったのが、現在も拠点とされている塩屋の街だったのですね。

山森:そうなんです。実は塩屋に引っ越してきたのも、『塩屋本2015』というフリーペーパーの仕事がきっかけでした。先輩から「編集やってくれへん?」と誘ってもらって。4S DESIGNの藤原さん(デザイナー)やフォトグラファーの片岡杏子さんと一緒に、取材のために街を歩いたりお店の人と話しているうちに、めっちゃ面白い街やなぁ~と思って。ちょうど引っ越し先を探していたところで「これはもう、この街に住もう!」と。そうしたら、海の見えるいいアパートが見つかって、さらに商店街の事務局もやってほしいと声をかけてもらったんですよね。

フリーペーパー『塩屋本』。

 

ー運命の出会いですよね! 塩屋本は、2017年も担当されたのですよね。

山森:はい。2015年はとにかく納品まで時間がなくて(笑)お店紹介がメインだったのですが、街の文化や歴史も紹介したくて、2017年版では江戸時代に伝わったとされる塩屋音頭についても触れてみたり、今はなき街のパン屋を営んでいた店主に手記を寄稿していただいたり。一緒に企画をしたり、取材を重ねるなかで地元の方との関係性がより深いものになってきたと思います。ちょっとおせっかいで人間味のある人付き合いが残るこの街に暮らし、働くことで、人に対して大きく心を許せるようになった部分もありますし、キャリアとしても2015年はターニングポイントでした。

「バラバラのものや人を巻きこみながら一つの形にしていくことは自分のミッションかなと思います」。

 

|「聞き書き」プロジェクトと往復書簡

 

ーライターとしての活動は塩屋本が初めてだったとか。

山森:ほぼ、そうですね。もともとディレクターとしてやってきて、伝える手段を磨きたいと思っていたんです。人の間に立つ立場して、正確に情報を伝えられるスキルを身に付けたい気持ちがありました。あと、塩屋本を作りながら地元の方と接する中で「立ち話から面白い話がこぼれてくる」ということを感じていました。日々の生活や遊びから溢れ出す本質をキャッチするためにも、言葉にしていくことをやっていきたいなと思ったんですよね。

ーまさに、シオプロで取材を進めている「聞き書き」がそうですね。

山森:はい。暮らしと私の趣味と仕事がごちゃ混ぜになったようなものなんですけど。塩屋で100年続くクリーニング屋さんの店主とお話していた時、「昔、塩屋では塩を作っていた」とか個人的に面白い! と思う話題がぽんぽん出てきたんです。街のことに詳しい人たちに聞いても、過去のことだから事実関係がわからなくて、その時は記録として残すことができなかった。それがずっと気になっていて、ちょっと悔いも残ってて。そういった「もう確かめようもないけれど、誰かが見たり聞いたりしたこと」を伝えていく手段はないかなとか、いろんなパーツを集めることで、新しい街の表情が見えてくることもあるんじゃないかという思いがあって、シオプロのみんなと聞き書きを始めました。

ー塩屋の街で、働きながらもとても遊んでいらっしゃる印象がありますね。

山森:シオプロのメンバーはじめ、塩屋の人たちは遊びが本当に上手。家族や趣味と、仕事との境界をあえて区切らずに、肩の力を抜いて仕事をする姿勢は、街の人に教えてもらったなと思うんです。それは2018年に立ち上げたユブネというユニットでの活動にも繋がっていて。個人の困りごとを外に開くことで、社会が抱える共通の課題として取り組んでいこうという試みを、あえて法人という事業体のなかでやってみようと。また、自分の好きな人とただ手紙を交わすだけの「往復書簡」という企画を立てたのですが、これはまさにそうですよね。相手との会話を通して自分の棚卸しという作業をしていく。

旧グッゲンハイム邸事務局にあるシェアオフィスにて。左から、山森さん、イラストレーターの山内庸資さん、デザイナーの藤原幸司さん。)

 

|家族の問題を社会問題化すること

 

ーディレクターの東 善仁さんとタッグを組んだユブネについてくわしく教えてください。

山森:地域や企業、学校などのフィールドのなかでプロジェクトの企画や運営、チームがうまく機能するためのコミュニティビルディングなどを手がけています。はじめは先頭に立ち、最終的には地域やメンバーが自走できるように主体、主役を受け渡していくことが私たちのミッションだと思っています。ユブネは、もともとお互い個人事業でやっていた二人なので、それぞれの特性や得意分野が少し異なるんです。これまで築いてきたそれぞれのベースがありつつ、個人での活動も続けているチーム。でも、目指すところや考え方は同じで。その一つに「「家」の困りごと問題をなりわいで解決する」というのがあります。

ー山森さんも、お子さんを産んで仕事に復帰されたばかりですよね。

山森:はい。東にも小さい子どもがいて、私も2019年の冬に出産して翌年の12月に復帰したばかり。子ども中心の生活だからこそ、一旦お互いの時間割を共有して、一日の家事などの予定を共有しながら仕事を進めてみることを実験しています。私自身、会社員時代は体調を崩したり、復調しなくてなかなか新たな一歩を踏み出せなかったり、生きづらさを感じることがたくさんありました。だからこそ、そういったことを誰かと共有し、解消しながら仕事をしていけたらいいなってずっと思っていました。たとえ生きるのがしんどくても、誰かと助け合いながら仕事を続けることはできるんです。いいことも悪いことも共有しあえる社会をつくっていけたらいいなと思うんですよね。

ー家庭や社会にも目を向けていこう、ということですね。

山森:ユブネのコンセプトが「企業、まち、社会の体温を1℃上げる」なんです。大げさなことじゃなくちょっとしたことでいいので、何か変化をつけるお手伝いや、家庭の困りごとを社会問題化する、仕事化するということができたらいいなと考えています。実際に、メンバーの地元でも事業を作っていこうと、現在は奈良や島根でその思いが実現しつつあります。

ーなるほど。塩屋での活動も続けていきながら、でしょうか。

山森:はい。聞き書きも続けていきたいですしね。恩返しというのはおこがましいですが、それぐらい塩屋の人たちには助けていただきました。個人的な話になりますが、私の結婚式を塩屋の旧グッゲンハイム邸で挙げたとき、小さなパレードで近所の小さな公園まで練り歩いて、公園内でも式を挙げたんですね。お世話になったいろんな人たち、なじみのおじいちゃんやおばあちゃんたちも公園だったら気軽に来てもらえるかなとひらめいて、公園での式が実現しました。これが塩屋の街や人との関わりの原点にもなっていると思います。それくらい距離が近いので煩わしいこともありますが(笑)、それって家族みたいやなぁって思うんです。同じ家の中にいるけど、いい塩梅の距離感は必要。これまでは新しいことをどんどんやりたいという気持ちが大きかったけれど、最近は今あるものを大切にすることの意味がわかってきた気がします。仕事でも、その価値観を活かしていけたらなと思いますね。

塩屋商店街の田仲豆腐店にて。店の前には、山森さんの結婚式の写真が飾られていた。