Pickup Creator取材記事

JAM DESIGN 網本雅生

JAM DESIGN
網本雅生

 

デザイン業と経営、その舵取りを教えてください!

 

|プロローグ

 

網本雅生さんは、神戸でデザイン業を始めて35年以上。経営するJAM DESIGNには、20人以上のスタッフが在籍しています。
大学を卒業し就職。その半年後に「なんか違う」と思ったことから、デザインの専門学校へ通い、デザイン会社でのアルバイトも始めたという網本さん。そのまま就職したそのデザイン会社も、3年目には会社が解散したため、期せずして1984年、フリーランスのデザイナーとなったといいます。
網本さんはいかにデザイン会社を立ち上げ、経営してきたのか。まずは、そのことをお聞きしました。

 

|今年も3人の新卒内定を決めたこと

 

―JAM DESIGNは、何人のスタッフがいますか。

網本:いまは21人かな。今年もやっと先週末に2021年新卒の内定を3名決めたところです。

―コロナ禍で内定取り消しのニュースなどもある中、3人の内定を出すのはすごいですね。

網本:ちょっと思い切りました。13年くらい前のリーマンショックの頃も、明らかに大きく仕事が減ったけど、4人の新卒を入れたんです。まあ、大変でしたけど(笑)。とにかく、社員を露頭に迷わせるわけにはいかないので。

一昨年は、はじめて60歳での定年退職者が出せました。中途入社で入った方ですけど、「この会社が大好きで定年までいたい」って。今はまた次の人生を試したいということでがんばってられます。

―デザイン会社といえば、どうしても人の入れ替わりの激しい印象がありますから、定年退職まで勤められたと聞くとシビレますね。

網本:めちゃくちゃうれしかったですよ。もちろん、辞めていく子も多いです。ひとりも辞めてほしくないとは思ってますけど、フリーになりたいとか、コミュニケーションの問題があったりするのでそこは仕方がありません。

―JAM DESIGNを設立されたのはいつですか。

網本:JAM DESIGNとして法人化したのは1990年です。フリーランスのデザイナーになったのは84年ですね。その前に勤めていたデザイン会社ではコープこうべの販促チラシなどをつくっていましたけど、フリーになってからは代理店を通して、神戸市や兵庫県といった行政の仕事を受けることが増えました。
フリーになった当初は、先輩と3人で古いビルの一室をシェアしていましたが、1990年にはひとりで部屋を借りました。そこから少しずつ人も増えていって、けど、95年の大震災でほとんど仕事がなくなって。あの頃、兵庫県の広報誌をいろいろ担当させていただいてて、罹災者へのいろんな情報などをまとめた白黒の「ニューひょうご・震災臨時号」をつくったことなどを思い出します。

―震災、リーマンショック、コロナ。長く続けていると、どうしようもない社会の出来事がありますね。

網本:そうです。だけど、阪神・淡路大震災の年にたまたまホームページ制作を得意とするスタッフが入ってきたので、そちらの仕事にシフトして行きました。当時、ホームページをつくれるデザイン事務所って、まだほとんどなかったので。

―その頃でスタッフは何人くらいですか。

網本:6~7人じゃないかな、10人はいなかった。その頃までは自然と何も考えずにスタッフも増えていった感じですけど、震災の翌年に大きな出来事があったんです。

|ある出来事をキッカケに本気で経営を

 

―阪神・淡路大震災の翌年、何がありましたか。

網本:オフロードバイクで大きな事故で重傷を負い、約3ケ月入院しました。まったく動けなくなって。そのときも、これは会社がつぶれるかもしれないと思ったけど、周りのスタッフのがんばりによってなんとかなりました。

―JAM DESIGNをつくって6年目のことですね。

網本:そこで会社の経営ということをもっと本気で考えなければと痛感しました。それまでは、デザイナーといえば5年も経てばフリーになって独立するか、また違う会社に移っていくものだと思いこんでいたので。実際、私自身がそうでしたから。なのに、そのときに「自分はこの会社で一生働きたい」と言ってくれる社員もいて。それは、頭をガーンと殴られるような衝撃でしたね。

―そのタイミングで経営者としての意識が目覚めたということでしょうか。

網本:そうです。経営のことを勉強するために、中小企業の経営者が集まる兵庫県中小企業家同友会に入会して、そこで他の経営者の方々からたくさんのことを学びました。たとえば、経営者は社員との約束事を決めなきゃいけないと教わって、経営指針書をつくりました。

今年度で第31期を迎えた「経営指針書」。最初の頃は10ページも満たない内容だったというが、今はしっかりとした冊子に。社員一人ひとりの目標も記されている。

―デザイナーと経営者。スムーズにその両方を担えるようになりましたか。

網本:もともと、自分がものづくりが好きで始めた仕事なので、最初は不安でしたけど、スタッフにある程度まかせればうまくいくものだとわかってきました。といっても、今も現場が好きなので、つい口出ししてしまう(笑)。

―中小企業家同友会では他にどんな学びがありましたか。

網本:毎年、目標を定めること。そして、人材育成に力を入れることですね。
いまは新卒でも、学校でデザイン思考を学んでいる人も多いので、かなり優秀です。そのうえで、新人研修として同友会がやっている研修に行ってもらったり、「聴く力」、「考える力」、「話す力」、「書く力」そして「時間力」など、社会人としてのマナーなどを教える外部機関で通わせたり。毎年、いろんな専門家に社内に来てもらって、たとえば写真の授業を開いたりもしています。

―しっかりと教育体制を整えられていますね。

網本:しっかりというか、それくらいはやっておかなければお客さんに対して失礼なので。あとは、うちは毎朝、朝礼もやってるんです。

―デザイン会社では珍しいように思います。

網本:そうでしょ。かっこ悪いって思うじゃないですか。けど、うちは朝礼当番もつくってやっています。数人の会社ならやる必要はないと思いますけど、ある程度の人数がいるから毎朝コミュニケーションをとって、その日の大事なことは必ず朝礼で報告するようにしてます。

―デザイン会社で朝礼なんて、と思ってしまうような、変に斜に構えたところがクリエイティブ業界にはあるかもしれません。

網本:そうですね。私も最初は抵抗がありましたから。同友会の製造業の方に「君のところは朝礼もせんのか」と指摘されても、製造業とは違いますからと言ってた時代もありました。けど、いまから思えば、ようそんなことが言えたなと。朝礼をやっていなければ、うちの会社はもうなくなってたかもしれない。大事なことですよ。

日常的に目にする場所にも「経営理念」が掲示されていた。ミーティングルームなどにはきれいな出力で貼られている。

|2年前からテレワークを導入していた

 

―JAM DESIGNの営業はどうされてますか。

網本:うちは営業は1人もいなくて、ホームページからの問い合わせではじまる仕事がほとんどです。そうして7割程度のお客さんが運用なども含めて継続的な仕事として、その後もご発注いただいている感じですね。

―あとは網本さんの個人的な営業活動も。

網本:そうですね。だいたい年商10~50億規模の企業が主力だと思います。

―いまも網本さん自身が手を動かすことはありますか。

網本:企画書のコンセプト立てくらいはやりますけど、10年ぐらい前からはほぼ社内のディレクターに任せるようにしています。先日、知り合いの店のロゴをお願いされたので、久しぶりに筆を持ったら全然思い通りにできなかった。やっぱり常に手を動かしてなければ(笑)。

―とはいえ、自分でやりたい気持ちは衰えていない。

網本:もちろんです。やりたい気持ちがあるから人を育てられると思うし、あがってきたものを見て、よくわからなければ説明を求めたり、再考してもらったり。だから、できるだけ社内にいないでほしいと思ってる社員も多いんじゃないかな(笑)。

―JAM DESIGNとしてはどんな仕事が多いでしょうか。

網本:リーマンショックのタイミングで、代理店経由の仕事や大手の仕事がまとめてなくなって、そこで戦略を変えたんですね。基本的に大手代理店の仕事はやめて、中堅規模の企業を中心に直接、仕事をやろうと。

―ブランディングもかなり手がけられてますよね。

網本:そうですね。長く手がけている洋菓子屋さんがあって、コロナ以降にとても調子がいいんです。インターネットを強化したのはもちろんですけど、店舗売り上げも上がっている。これまでの一等地にあった店は厳しいかもしれないけど、地域密着でやってきた店は売り上げを伸ばしているところもあって、アフターコロナでこれまでの戦略は変わってくるはず。私たちの仕事は、そうやって売り上げや集客をアップして、会社の価値を上げていくこと。もちろん、すべてがうまくいくことはないので、失敗も繰り返しながらやっています。

―コロナ以降ということでいえば、JAM DESIGNとしても何か対応は考えていますか。

網本:そういえば、うちは、2年前からテレワークを導入していたんですよ。
それは雇用を守るためなんです。スタッフが歳を重ねると、出産や介護の問題だったりで家を離れられないという人も出てくるので、少しずつテレワーク導入に向けた実証実験をやって、軌道に乗りかけたところでコロナがやってきました。緊急事態宣言の後も、週2日は会社、週3日は在宅にしていて、これは今後も続けていこうかなと考えています。

―コロナの状況にかかわらず、テレワークを日常的なスタイルとして取り入れていくということですね。

網本:そうです。危機管理でもあるし、5年後にはこれが常識になっている可能性もありますよね。

出勤日を分けているので余裕のある社内。

|役を引き受けることをためらわない

 

―網本さんは神戸デザイン協会の理事長も務められてます。

網本:私がデザイン協会に入会したのは2010年。30年以上活動している協会なので、そんなに古株でもないのですが。

―加入されたキッカケはなんでしょう。

網本:知人に声をかけてもらったからです。多い時代は100人を超える会員がいたそうですけど、私が入ったときには10数名になっていて、やっぱり古い体質になっていました。それで、余計なお世話だと思いつつ「あれやろう、これやろう」って言っているうちに、気づいたら自分が理事長になっていました(笑)。

―神戸デザイン協会への関わりを深めていったのはどうしてですか。

網本:せっかくデザイン関係者が集まっているのに、何もせずにただガヤガヤ言うだけでは面白くないし、やっぱり協会を活性化させたいと思ったんです。私の後に入会してきた人たちもすてきな人ばかりなので、一緒になにかやりたいと思って、理事長になった後は営利活動もやれたらということで、神戸市や兵庫県の事業に応募するようにもなりました。

―JAM DESIGNでの仕事とはまた違った活動ができるということでしょうか。

網本:そうですね。2年前からグッドデザイン賞の展覧会が神戸でも開かれていますけど、それにあわせて昨年は「勝手にグッドデザイン賞」として子どもたちの考えるグッドデザインを集めたり、子どもと学生でグループワークをやったりもしました。

20年以上続けている蕎麦打ちも相当な腕前。蕎麦打ち教室を開いたり、「蕎人の会」として店で蕎麦をふるまったりも。

―旧居留地連絡協議会にも関わられていると聞きました。

網本:旧居留地連絡協議会にも20年ほど前から関わって、さまざまなプロジェクトをやっているんです。旧居留地連絡協議会では、昨年から「旧居留地はいからプロジェクト」と名付けて、旧居留地にたくさんあるミュージアムと連携して、音楽などの文化イベントなどを始めています。

―JAM DESIGNの所在地も旧居留地ですし、旧居留地との縁も深いですね。

網本:はい。私が独立して最初に事務所をシェアしたのも旧居留地で、大興ビルという大正元年に銀行として建てられた雰囲気のある建物でした。震災で全壊してしまったのは残念なんですけども。

―本業とは別に、神戸デザイン協会、旧居留地連絡協議会などいろんな活動に携わってられるんですね。

網本:どんな業界でもそうですけど、なにかの役を引き受けることをためらう人も多いですよね。自分の時間をとられたくないという、その考えもわかりますけど、どんな役でも引き受けるといいことがあるんです。当然、重荷だし責任も伴いますけど、いろんなところに属して、できるだけ多くの人と交わるのはいいことだと思います。自分の居心地のいい場所だけじゃなく、そこから出ていくことも必要ですね。

社内にあるジャムデザイン文庫。毎月スタッフから希望の本を募って会社で購入。それぞれの推薦理由なども共有している。